世界遺産 016「富岡製糸場」
「富岡製糸場と絹産業遺産群」
産業の近代化に貢献した近代産業遺産
明治政府の国策として明治5年(1872年)に建造された富岡製糸場は、フランス技術を導入した生糸の大量生産によって、養蚕・製糸にかかわる一連の絹産業を発展させ、群馬県域をわが国有数の絹産業の地にした。その先進的な技術は国内各地に伝播され、さらに養蚕の技術革新が進み、原料繭の大量生産に成功した。
1920年代には世界一の生糸輸出国になり、安価で良質な生糸を輸出し、高級繊維の絹をより身近な存在に変えた。戦後は、生糸生産のオートメーション化にも成功、自動繰糸機は全世界に輸出され、絹の大衆化に貢献、世界の絹産業を支え、産業の近代化に貢献した近代産業遺産としてはわが国では初登録となった。
木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)
木造の柱(はしら)と梁(はり)の軸部を組み立て、柱間部分に煉瓦を積んで壁とする構造。上部構造物を支えるのは木造の柱と梁で、西洋で見られる壁で上部構造物を支える煉瓦造(れんがぞう)とは異なる。日本の伝統的な柱と梁で構成する構造と、西洋の煉瓦造が合体した構造で、和洋技術が折衷した構造になっている。
富岡製糸場の7棟は木骨煉瓦造で造られ、その中でも大きな建造物である東西の繭倉庫や製糸場は日本特有の産業建築様式を生み出した。
構成資産は次の4資産。
登録地域の面積は、構成資産 7.20ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 415ヘクタール。
明治5年(1872)に明治政府が設立した官営の器械製糸場。和洋技術を混交して建てられた木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場などがほぼ完全にのこっています。民営化後も一貫して製糸を行い,製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。東置繭所・西置繭所・繰糸場の3棟が国宝,ほかに5棟と2つの附が重要文化財に指定され,併せて国史跡に指定されています。
田島弥平旧宅(伊勢崎市)
通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が,文久3年(1863)に建てた主屋兼蚕室。瓦葺き総二階建てで換気のための越し屋根を備えた構造は,近代養蚕農家の原型になりました。国史跡に指定されています。
高山社跡(藤岡市)
高山長五郎は,通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。この地に設立された養蚕教育機関高山社は,その技術を全国及び海外に広め,「清温育」は日本の標準養蚕法になりました。国史跡に指定されています。
荒船風穴(下仁田町)
岩の隙間から吹き出す冷風を利用した国内最大規模の蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設。冷蔵技術を活かし,当時年1回だった養蚕を複数回可能にし,繭の増産に貢献しました。国史跡に指定されています。
引用 : 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlink8
引用 : 日本の世界遺産-平和が一番
https://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/index.html
画像提供 富岡市
http://www.tomioka-silk.jp/spot/freedownload/
画像提供 伊勢崎市
https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/rekishi/shitei/shiseki/4628.html
画像提供 藤岡市
https://www.city.fujioka.gunma.jp/kakuka/f_bunkazai/takayamasya_ato.html
画像提供 下仁田町