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世界遺産 017 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

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「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

  • 地域 : 福岡県
  • 登録年 : 2017年
  • 登録基準 : II・III
  • 登録区分 : 文化遺産


「神の島」と呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも一般人は毎年5月27日の現地大祭以外は上陸を基本的に認められず、その数も200人程度に制限されてきた。世界遺産登録に際して、島への接近・上陸対策の強化をユネスコから要請されたため、2018年からは研究者らを除く一般人の上陸は全面禁止とすることを宗像大社が2017年7月に決定した。

山の中腹には宗像大社沖津宮社殿があり、宗像三女神田心姫神(たごりひめのかみ)をまつっている。島は時の大和朝廷朝鮮半島を結んだ海の道「海北道中」の中間地点に位置し、韓国の釜山までも145キロメートルしかなく、遣隋使や遣唐使も島を目印として大陸に渡海した記録が残る。元寇後の1297年(永仁4年)に編まれた『夫木和歌抄』に「うつ波に 鼓の音をうち添えて 唐人よせぬ 沖ノ島守り」と詠まれており、沖ノ島が神国思想の拠り所として最前線の防波堤の役割を担っていたことがうかがえる。1855年安政2年)に作成された『皇国総海岸図』には「御号島」と記載される。無人島であるが、現在は沖津宮神職が10日交代で派遣され、常時滞在している。

引用 : Wikipedia


神宿る島」沖ノ島を崇拝する文化的伝統が,古代東アジアにおける活発な対外交流が進んだ時期に発展し,海上の安全を願う生きた伝統と明白に関連し今日まで継承されてきたことを物語る稀有な物証。

沖ノ島には,4世紀から9世紀の間の古代祭祀の変遷を示す考古遺跡が,ほぼ手つかずの状態で現代まで残されてきました。古代祭祀遺跡を含む沖津宮中津宮辺津宮は,宗像大社という信仰の場として現在まで続いています。そして,その信仰を担い育んだ宗像氏の存在を物語る資産が,新原・奴山古墳群です。 


登録資産は、沖ノ島の3つの岩礁(小屋島、御門柱、天狗岩)を含めた8資産。 3つの岩礁は、沖ノ島の南東約1km程にあり、沖ノ島へ渡島する際の鳥居の役割を果たしている。


登録地域の面積は、構成資産 98.9ヘクタール、それを保護する緩衝地帯は島全域で 79,363.5ヘクタール。

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宗像大社沖津宮
沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩)

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   沖津宮では、古代から「神宿る島」として航海の安全と交流の成就を願う祭祀が行われてきました。沖ノ島への信仰から生まれた宗像三女神を祭る宗像大社の信仰の原点であるとともに、宗像三女神の一神である田心姫神を祭っています。また、沖ノ島そのものが信仰の対象として現代まで継承されています。 


宗像大社沖津宮遙拝所

 神職以外の立ち入りが禁じられている沖ノ島を人々が拝むために設けられた拝所で、沖ノ島に対する信仰の伝統を象徴しています。晴れて空気が澄み渡った日には、ここから水平線上に沖ノ島を望むことができます。 


宗像大社中津宮

 沖ノ島への信仰から生まれた三女神の一神である湍津姫神を祭っており、沖ノ島と九州本土をつなぐ大島の信仰の場所です。また、背後の山頂には古代からの祭祀場所である御嶽山祭祀遺跡があります。 


宗像大社辺津宮

 沖ノ島への信仰から生まれた三女神の一神である市杵島姫神を祭っています。九州本土における信仰の場であり、今日の宗像大社における信仰活動の中心として現代に継承されています。 


新原・奴山古墳群

 九州本土から沖ノ島へと続く海を望む台地上に築かれた41基の墳墓からなる古墳群です。沖ノ島への信仰から宗像三女神に対する信仰を生みだし、現代まで伝えてきた古代豪族宗像氏の存在を証明しています。


引用 : 文化遺産オンライン

http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkC

引用 : 日本の世界遺産-平和が一番

https://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/index.html

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http://gensun.org/pid/228443